栄養剤を打ったナマケモノになりきった天気の変わりやすい島の気候の台風の目。

 とりとめのない文章は気持ちが良い。自堕落にネットサーフィンをしたり、ネットでマンガを読み漁るような、何の意味もないが何かしらの情報に触れていたい欲求、もはや欲求というのか癖というのかわからないが、を満たすの十分だ。そうした文章を書いてみようという気に突如としてなったのは何でなのだろうか。

 この頃思うことだが、この世で一番堕落した人というのは、常に毎日24時間タバコをふかしながらパチンコにかよったり、昼まで寝て350mlの缶を開けアルコールの入った炭酸飲料を飲み気づいたら次の昼になっていたりするような人種ではなく、一見人並程度では生活しているけども、例えば大学の授業には出るのだけども、突如として家に閉じこもる。それは一日中だったり半日だったり、長ければ一週間だったり。かと思えば次の日には元気に朝早くから学校に出発する、しかもそれまでの閉鎖的な自分にひどく嫌悪感を抱きながら、これからは誠実にまじめに生きるんだと志を天よりも高く掲げながら、半ば早歩きで登校していくような人間のことを、この世で一番怠惰な人間というのではないだろうか。思うに、怠惰というのは、低さを競うのではなく、落差の和を競うのだと思う。つまり、どれだけ、周囲の人間やとりわけ自分自身からの期待を裏切るかを可能か限り数値化したときのその数値の合計が怠惰の程度なんだと思う。例えば、毎日英語を勉強しよう、これからは毎日授業に出よう、明日からは事業のノルマ達成のためにこれこれをしよう、毎日本を読もう、家計簿をつけよう、自炊をしよう、無駄遣いをやめよう、一駅ぐらい歩こう、――。どれだけのWillをふいにしたか、どれだけひどくふいにしたかその合計なんだと思う。

 一見堕落していると思われる、ギャンブル中毒、アルコール中毒、プータロー、引きこもりの方々にはごめんなさいと素直に謝りたい気持ちだけど、偏った、事実には基づかない見方をするけど、彼らは決して”~しよう”と決意新たにすることは無いんだと思う。だから、もしかすると彼らは怠惰から最も遠い人間なのかもしれないとすら思う。おれは酒が好きだおれは競馬が好きだ、おれはネットが好きだ。そんな欲望のためには家族の生活すら自分の社会的信用すら持ち出して、各々の業務に没頭する。おそらくその集中度はすさまじいんだと思う。意志を再設定する必要は無く日々実践実践の嵐。その意志がもしも仮に何万分の一にでも、勉学や仕事に向けられていたら、どこかでなにかのお手本として取り上げられる人材になっていたのかもしれない。怠惰の定義から言えば、おそらく数値はゼロに限りなく近い。

 だからこそ、多少屈みながら鬱々とした気持ちで胸を張って言うけども、彼らには絶対に怠惰では負けていないだろう。本当に怠惰な人間は、上の定義に挙げた例を全部網羅するこの僕なんだから。そんな極まりなく誉れがたい僕の、栄光はいつのまにか回復するかもしれない。つまり真面目に生きることを、ついぞ始めるかもしれない。自分の限界に気づいて、自分のできる範囲と従来想定していたよりずっとずっと狭い範囲の事柄のみに集中しようとしているからだ。でも僕はふいに思うと思う。この志を折ることが出来たら、その怠惰の数値はいくらなんだろうと。そう思うと、怠惰な時もまじめな時も、片時も不安だ暗雲立ち込める気分からは逃れることが出来ない。