ベン図の真ん中の一番黒いところ

 誰かに自分を投影して、その人みたく生きようと思ったり、生活習慣を真似してみたり。それって悪いこと?自身失くすようなこと?自分ねえなって嫌悪しなくちゃいけないかなあ

 

 ちょうど今僕は、三人のミュージシャンに自己投影し終えたところ。

・大山ルアン

現役高校生ながら、ONE OK ROCKのTakaに認められライブ出演し、ゆずや平井堅が出演する夏フェスに出演するなどの、実績を残しているシンガーソングライター。力強い歌声が魅力的。

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ぼくのりりっくのぼうよみ

現役大学生生であり、高校生時にはすでにデビューしているシンガーソングライター。超有名。三月のライオンの主題歌を歌ったり。デビュー前から、エッセイ・音楽差う性などマルチに活動。

・米津玄師

超有名アーティスト。学生時代から、Hachiの名前でYouTubeニコニコ動画ではボカロアーティストとして超有名人。米津玄師としてデビュー後も、超人気。学生時代から音楽制作、動画制作に勤しむ。

 

 一言で表すと、惹かれて、自分もそうなろって思い改めた。でもどうせ、数日後いや数十分後には、やろうと決めてることを投げ出すことになるんだと思う。またそれで、後日困ったことになるだろうし自己嫌悪することになるんだと思う。

 だからって、そもそも人をトレースしようとしてみることが悪いことなのか?そんなはずはない。だってそもそも、生まれた頃から僕らは人をトレースして生きてきた。お母さんの父さん、近所の友達、学校の先生友達。数え上げればきりは無い。そんな人たちに、劣等感を抱いたり尊敬したり逆に見下してみたり。はたまた、テレビで見たお笑い芸人やアーティスト、授業で知った偉人。もしかしたら、ある日ふいに分解してみたラジオかもしれない。いろんないろんな者・モノに影響を受けて今日までの自分がある。”自分がある”とは、影響を受けたことで自分が”変わってきた”ことを意味すると思う。

 つまり、そうした変わり方の一つとして、結局失敗するとしても”思い改める”を認めてやろうよってこと。少なくとも”思い改めて失敗する”前後の自分は、異なる自分になっているんだから。それは、変化であり成長である。そもそも、成長って、特定の観点からみた能力の上昇を指すよね。じゃあ、成長失敗したなって思う自分って何の観点に基づいて、成長できない自分を悔いているんだろう。多分考えてないよね。

 漠然とした志しか持てない自分とか頭悪くて細部まで考えきれない自分を嫌うなら、漠然とした観点に基づく自己嫌悪も否定しちゃおうぜ。せっかく、自己嫌悪しまくりな頭悪いなあと思う自分に生まれたんなら、悪い所もよい所も使っちゃおうぜ。悪い所どりして苦しくなるなんて、不幸すぎるだろ。

 胸を張って毎回トレースして何か思い改めて失敗しよう。反省することなんてできない。僕はあたまがわるいんだから。

ネットは酒とタバコ

 世のダメ人間の多くは酒とタバコによってその骨という骨を抜かれていることだろうと思う。ふにゃんふにゃんの信念、生活リズム、考え方。甘い方優しい方に方に寄せられ流れて行っているだろう。

 

 準デジタルネイティブ世代の平成初期生まれ組世代にとっての酒とタバコとは、即ち、ネットであると言えると思う。酒のように、聞きながら情報をさらいながら、楽しい気分になれる。目の前のしょうもない、広告・ブログ・ニュース・SNSに流れる独白やネタ。なんだか、楽しい。そんなことよく思いついたな、くだらねえななどと批評してみる。楽しいからもっともっと。気持ちいからもっともっと、そう思うお酒と一緒だなあなんて。

途中からは、批評すらもしないだろう。ただ、つぶやきを心で繰り返す。それだけで、なんだか、とりあえず喋っている気分になる。いうなれば、くだらないことをダベッてる中高生のようであり、他愛もない事をキャッキャする幼児のようである。ボールをひたすらに舌を出しながら目をキラキラさせてハアハア言いながら、追いかける犬の様である。なんだか、そこに、意志は無い。ただ楽しいから、ずっとずっとしてる。それってなんだか、ただ気持ちいから吸っちゃうタバコみたいだなあと。手持無沙汰だから、とりあえず一定量気持ちいことを知ってるタバコ吸っちゃおうぜ、と。

栄養剤を打ったナマケモノになりきった天気の変わりやすい島の気候の台風の目。

 とりとめのない文章は気持ちが良い。自堕落にネットサーフィンをしたり、ネットでマンガを読み漁るような、何の意味もないが何かしらの情報に触れていたい欲求、もはや欲求というのか癖というのかわからないが、を満たすの十分だ。そうした文章を書いてみようという気に突如としてなったのは何でなのだろうか。

 この頃思うことだが、この世で一番堕落した人というのは、常に毎日24時間タバコをふかしながらパチンコにかよったり、昼まで寝て350mlの缶を開けアルコールの入った炭酸飲料を飲み気づいたら次の昼になっていたりするような人種ではなく、一見人並程度では生活しているけども、例えば大学の授業には出るのだけども、突如として家に閉じこもる。それは一日中だったり半日だったり、長ければ一週間だったり。かと思えば次の日には元気に朝早くから学校に出発する、しかもそれまでの閉鎖的な自分にひどく嫌悪感を抱きながら、これからは誠実にまじめに生きるんだと志を天よりも高く掲げながら、半ば早歩きで登校していくような人間のことを、この世で一番怠惰な人間というのではないだろうか。思うに、怠惰というのは、低さを競うのではなく、落差の和を競うのだと思う。つまり、どれだけ、周囲の人間やとりわけ自分自身からの期待を裏切るかを可能か限り数値化したときのその数値の合計が怠惰の程度なんだと思う。例えば、毎日英語を勉強しよう、これからは毎日授業に出よう、明日からは事業のノルマ達成のためにこれこれをしよう、毎日本を読もう、家計簿をつけよう、自炊をしよう、無駄遣いをやめよう、一駅ぐらい歩こう、――。どれだけのWillをふいにしたか、どれだけひどくふいにしたかその合計なんだと思う。

 一見堕落していると思われる、ギャンブル中毒、アルコール中毒、プータロー、引きこもりの方々にはごめんなさいと素直に謝りたい気持ちだけど、偏った、事実には基づかない見方をするけど、彼らは決して”~しよう”と決意新たにすることは無いんだと思う。だから、もしかすると彼らは怠惰から最も遠い人間なのかもしれないとすら思う。おれは酒が好きだおれは競馬が好きだ、おれはネットが好きだ。そんな欲望のためには家族の生活すら自分の社会的信用すら持ち出して、各々の業務に没頭する。おそらくその集中度はすさまじいんだと思う。意志を再設定する必要は無く日々実践実践の嵐。その意志がもしも仮に何万分の一にでも、勉学や仕事に向けられていたら、どこかでなにかのお手本として取り上げられる人材になっていたのかもしれない。怠惰の定義から言えば、おそらく数値はゼロに限りなく近い。

 だからこそ、多少屈みながら鬱々とした気持ちで胸を張って言うけども、彼らには絶対に怠惰では負けていないだろう。本当に怠惰な人間は、上の定義に挙げた例を全部網羅するこの僕なんだから。そんな極まりなく誉れがたい僕の、栄光はいつのまにか回復するかもしれない。つまり真面目に生きることを、ついぞ始めるかもしれない。自分の限界に気づいて、自分のできる範囲と従来想定していたよりずっとずっと狭い範囲の事柄のみに集中しようとしているからだ。でも僕はふいに思うと思う。この志を折ることが出来たら、その怠惰の数値はいくらなんだろうと。そう思うと、怠惰な時もまじめな時も、片時も不安だ暗雲立ち込める気分からは逃れることが出来ない。

ニートと社会人

 最近、自堕落に過ごす日々が断片的に続いている。細かく言うと、一週間の内3日間はキビキビと動き4日間はダラダラと過ごしている。終日バイトしてる日とそれ以外の日、という違いがこの状態を生んでる。

 今日はダラダラした日の方。本来なら1限~4限まであるので、朝7:00には目を覚まし、支度をして8:50の授業に間に合うように登校して16:40まで授業を受けて帰宅する。3限にはレポート課題の提出を控えていたので、いつもより3時間早起きして課題を完成させるつもりだった。しかし、今日は10時まで寝てて、そこから自堕落な思考になって今、14:00までSNSを見たりタバコを死ぬほど吸ったりマンガを読んだり、特に何もしていない。とことん非生産的。

 こんな日はよくある。こんな日がずっと続くこともある。特に一年生の後期はひどかった。丁度そのころはアニメにはまっていて、一週間学校に行かずにバイトをぶちったりMをぶちりながら、AmazonVideoやアニチューブで、2クール以上あるようなアニメを消化していた。まさにニートだった。自堕落な日はこの時を思い出す。

 

 キビキビした日もある。アイセックでPL代理として活動していた時が過去の話で言うと代表的。一日5時間以上を活動に投資してた。今でいうと、類農園のインターンで、市場へ受注するやり取りを任せられることや野菜の仕入れ先を集めることやその他のインターン中の活動が挙げられる。朝6:00or8:00から17:00まで仕事をして20時過ぎに家に帰って早寝する。そんな日は必要最低限の事をこなして、気持ちよく眠れる。

 一方で、ニートが一日中ダラダラしてそんな日を365日続ける気持ちもわかる。何もしなくても生きてはいけるし、なにより楽。適度に楽しく、最高に楽。アニメや映画、ゲームなどの仮想世界に生きているときの楽しさは癖になる楽さ。スポーツの試合に勝った時や仕事で成功した時の達成感ほどの楽しさは無いけど、スポーツや仕事と違って努力が必要ない。旅みたいに事前の準備もいらない。そんな、楽さがある。

 他方で、キビキビと生きている社会人の良さもわかる。毎日の一挙一動が成果につながり、成果次第で会社ひいては自分の生活や処遇が上下するので、とても刺激的な毎日。責任を感じ、全力で仕事をするので努力が欠かせない。大変だあ・・・。

 ここ最近、自分がニートなんじゃないかと思う日があって落ち込む事が多いけど、インターンで役割任せられてキビキビ働く楽しさを思い出しつつある。そんな状態で、今日を迎えたので、どっちなんだ自分??と途方に暮れていますとさ。